カリカリの鉄塔

逃げ切れない

モラトリアムの日々

仕事をやめた。

正しく言うと、退職することを上司に伝え、引継ぎを行い、有給を消化している状況、だ。

 

大学生になったとき、回りの子たちがモラトリアムという言葉をよく使っていた。

学のないわたしは意味を知らず、こっそり家に帰ってから調べた記憶がある。

一人前の人間になるのを猶予されている期間。

なるほどうまく言うものだな、と関心し、それからはさも元から知っていた言葉であるかのようにモラトリアム、モラトリアムと口にした。

 

大学を卒業するとき、みんな一様にモラトリアムが終わる、と口にしていたし、私も同様に嘆いていた。

モラトリアムが、猶予期間が終わってしまい、そしてそれはもう二度と手に入らないものだと思っていたのだ。

 

社会人になってみて、社会人になってからもモラトリアムが存在することを知った。

それはつまり、転職先が見つかっている状況で現職に退職を宣言し、有給を消化しているとき、となる。

つまり、今のわたしの状況だ。

 

何にも縛られない自由さと、それでも社会の枠からは外れていない安心感。

今勤めている会社は1年弱しか働いていないため、有給も最低支給数の10日しかなく、このモラトリアムは2週間で終わってしまう。

その間、わたしは湯水のようにお金と時間を使って、思う存分堕落する。

そして、猶予期間が終わればまた何食わぬ顔で社会の歯車に戻る。

元のように毎日通勤電車に揺られる日々には戻れないのでは、と思っていても、

すでにわたしの体は社会に溶け込んでいるので、出社日になればまじめな顔をして通勤電車に揺られることになる。

この世で一番つまらない、会社員という役割を、自らすすんで演じることになる。

 

モラトリアムはいつか終わる。

でも、無責任な大人であるわたしは、いつでも自分の手でモラトリアムを作ることができることを知っている。

 

いいよなぁ。